普通と言われてる人が一番すごい
「裏か表か底無しのクエスチョ〜ン🎵」
なんとなく聞き流していたこの歌詞の意味を最近深く考えることになるとは思いもしなかった。
わからない人のために説明するとこれはももいろクローバーZの「サラバ、愛しき悲しみたちよ」の歌詞の一節である。
お前ももクロ聞くんかい!というツッコミはありがたくスルーさせていただこう。
お前って変わってるよな
専門学生時代実技の時間で言われた一言である。当時4人1組の班で包帯を巻きあっていた時のことだ。すかさず僕はこう返した。
「たしかにそうかもしれんが普通てなんなんだろうね」
この問いに答えられた人はいなかった。僕はそれから普通というものについて数年間考え続けることになった。
僕は二十歳過ぎから急に上昇志向が強くなり始め大きなことを口にするようになった。その際口癖のように「普通と言われる人になりたくない」「普通な人生とかつまんなくね?」
そういうことばかり言っていた。
すごくおかしいことだろう。普通がなんなのかすらわからないのに普通を過小評価するような発言ばかりしているのだ。
しかしようやくでた普通の答えと共に自分の愚かさを知ることとなる。
それはひょんな出来事を伝えるために高校時代の友人に電話した時のことだった。いつの間にか人間力についての議論となっており、やはりこういう話になった時にいつものように僕は口にする「普通て言われる人にはなりたくない。」
友人は言う。「お前は普通になれるのか?普通が一番すごいんだよ」
僕に衝撃が走った。
なれるわけがない。なんなら普通ってなんなのかすら分からないのだから。
電話が終わった後僕なりに友人の話を元に改めて考えてみた。普通とはなんだろう。
そして一つの答えが出た。
物事には「表と裏」がある。
例えば今流行りの「新型コロナウイルス」
実は僕はコロナウイルスは騒ぎすぎ。そう思ってる派だ。理由は色々あるが一番は60歳以下の健康な人なら重症化のリスクはほぼないし、インフルエンザとも統計で見ると死者のデータは大きく変わらない。そのために経済を犠牲にしていいのか。そう思う。それ以外でもそう思う理由はたくさんあるのだがここでは省く。
しかしこれはテレビで報道されてる「表」の考え方に反する「裏」の考え方だ。僕はこの考え方こそ正しいと思い込んでいた。いや実際これも一つの正解なのだろう。実際にsnsを見るとそのような考え方をしている専門家も多数いることも事実だ。
しかし僕が問題なのは「表」の考え方を持つ人をぶった斬るような物言いをしてしまったことだ。
そうすると「表」の考え方を持つ人はいい気分はしないだろう。しっかりと配慮をしてから自分の意見を言うべきだった。
表の考え方を持つ古くからの友人とは当然の如く衝突が起こった。
これは物事の「裏」しか見ようとしなかった僕と物事の「表」しかみようとしなかった友人だからこそ起こった争いだ。
しかしいわゆる「普通と言われる人」は物事の「表」と「裏」両方を見ようとする。だからこそ当たり障りのない立ち回りができる。人を不快にさせないで済む。
これってめちゃくちゃすごくないか?
「表」と「裏」どちらか片方を貫くのは悪いことではないと思う。しかし自分の中の正解と反対側にある正解どちらも正解として考えられる人、それに応じた立ち振る舞いができる人それがすなわち「普通と言われてる人」
そう「普通と言われてる人」は「表」と「裏」両方見えてるからこそ、その平均をとるということができるのだ。
この気づきをくれた高校時代の友人には感謝している。
それでも僕は「普通と言われる人」にはなりたくないと思ってしまう。物事の「裏と表が見れる人」になりたいと思ったのにも関わらずだ。
それは未だに普通と言う言葉の先入観に囚われているだけなのかもしれないし、ただのこの世に対する反骨精神なのかもしれない。正直自分でも分からない。かといって大きいことをしたいと言う漠然とした目標はあるがどう言う人になりたいのかも分からない。そう僕は本当にどうしようもない「ならず者」だ。
そんな「普通と言われる人」になれない僕の人生は今日も続く。これからは「普通と言われる人」を心からリスペクトしながら。